「無意識の自分責め」をしてしまう人の共通点

自分を大事にする時間

社会や他人の価値観によって、傷ついてしまうことはよくあります。大事なことは、自分が傷ついたことを認識し、自分自身に共感すること。自分を説得したり、批判したり、評価を与えたりする必要はありません。

わかっていても、つい無意識で毎晩ひとり反省会をしている人、他人の顔色が気になって仕方ない人、「あんなこと言わなければよかった」と後悔することが多い人は、ぜひ今回の記事を最後まで読んでみてください。

今回は、いつも「無意識の自分責め」をしてしまう人の共通点について、私の経験を踏まえてお伝えします。ご自身に当てはまる場合、何か気づきのヒントになれば幸いです。



自分を責める唯一の存在は自分自身

私達が暮らす今の社会では、スマホ1つあれば日々たくさんの情報が入ってきます。知りたくもない内容やフェイクニュース、未知のジャンルまで実に様々です。これだけ他人と比較することが容易な社会では、性別・年齢・容姿・仕事・ライフスタイル・経済事情など、自分に近い人達と無意識に比較してしまいがちです。その結果、「社会の平均に比べて自分は〇〇」「あの人に比べて自分は〇〇」「同期と比べて自分は〇〇」といったように、毎日無意識に自分をジャッジしてしまうことがあります。誰かにジャッジされているのではなく、自分で自分自身をジャッジしてしまうのです。

あるいは、幼い頃から今日までに、周りの人達(親、兄弟、学校の先生、友人、先輩、親戚、同僚、上司など)から言われたこと、されたこと、満たされなかった感情、傷ついた悲しみによって、「私は愛されていない」「私は人から大事にされない」といった無意識の感情が芽生えることがあります。仮に愛されない、大事にされない、と感じてしまう状況であったとしても、最終的に「私は愛されない、大事にされない人間だ」とジャッジしたのは、やはり自分自身です。

人は生まれていつか必ず死を迎えるという事実以外は、この世界に絶対的なものはありません。複数の様々な要素が絡み合って、1つ1つの事象が起こります。「〇〇だから、私は〇〇に違いない」という事実無根の判断によって自分自身を一番深く傷つけているのは、実は自分自身なのです。



「無意識の自分責め」をしてしまう人の共通点

①「すみません」が口癖になる

みなさんの職場や友人にも、いつも「すみません」と口癖のように言っている人はいませんか?無意識に出てくる言葉の奥には、自尊心の低さや罪悪感、自己否定感などがあります。意識して言わないようにすることは難しく、自分自身の奥深くにある部分と向き合うことによって、少しずつケアしていく必要があります。

「たった〇〇で心がラクになる」というような裏技的なお話ではなく、まずは「あ、またスミマセンって言った」と自覚することから意識してみてください。口癖を認識できるようになったら、今度は「今、自分は他人を傷つけたり迷惑をかけたりしたか?謝るべき状況だったのか?」と、自分に問うてみてください。そして、この口癖はいつ頃から、どんな環境で、どんな出来事がきっかけとなって始まったのかを、自分自身に時間をかけて、じっくりと向き合ってみてください。

②自分の意見を言えない

何が食べたい?どこへ行きたい?何が見たい?何をしたい?

日常生活にあるこれらの質問に対して、普段どんなふうに答えますか?相手に合わせますか?
私の知人に、いつも周りの意見に合わせる人がいます。それが当たり前なので、次第に誰もその人の意見を尋ねなくなります。「あの人はいつも自分の意見を言わない」といったレッテルを貼られてしまいます。本人にとっては、周りを尊重したつもりでも、不本意な評価をされてしまうことがあるのです。

特に日本人は、譲り合いの精神が根付いているし、相手を尊重すること自体を否定はしません。ただ、何を食べるとか、何をするとか、そんな些細なことでさえも自分の意見を言えなくなっているということは、相手を尊重しているのではないと思います。

ラーメンではなく和食を食べたいと感じたその後に、一瞬出てくる無意識の自分は、何と言っているでしょうか?和食ではなく、一緒に居る友人が望む「ラーメンにしよう」と言ってしまった自分の中には、極端に言えば「自分の意見なんか尊重されるはずがない、されるべきではない」という感情があるのかもしれません。誰かに「あなたの意見なんか尊重しません、されるべきではありません」と言われたわけではなく、自分が自分自身に宣言してしまったのではないかと思うのです。そして、自分を尊重しなかった小さな経験の積み重ねが、自分自身を傷つけ、失望させ、悲しませ、責めているのだと感じます。

③条件付きでしか自分を受け入れられない

仕事や私生活での社会的成功に強くこだわる、人からの賞賛を渇望する、美への執着から整形を繰り返す、地位や肩書にこだわって職業選択をする、お金に異常な執着心をもつ、SNSや他人の私生活が気になるなど、「自分が存在していられるためには〇〇が絶対に必要だ」「もっと〇〇でなければ私の存在意義は無い」という感覚で、何らかの条件が無いと自分を受け入れられない状態です。

夢、目標、努力、と言った輝かしい言葉と引き換えに、自分の存在を何か特別なものにしようと必死になる。これは裏を返せば、「夢や目標も無く、何の努力もしない自分には、なんの価値も無い」といったジャッジを突き付けているとも言えます。美人やお金持ちではなくても、ただ生きているだけでOKとは考えられずに、自分を受け入れることができません。こういった状況にある時は、一旦外からの情報を遮断することで、大量に流れ込んでくる「自分と他人の比較要素」から離れることができます。時間はかかるかもしれませんが、たとえ何も成し遂げなくても、「今日は1日ただ生きていた。生かされていた。平穏な1日に、感謝」といった感覚を持ち、自然体で過ごせるようになっていきます。

④未消化の感情が増え、何かに依存する

自分はあまり愛されなかったと感じていると、家族との不和が生じ、結果的に親兄弟とは疎遠になることがあります。それ自体が良い悪いということはなく、自然な流れだと思います。ただ、実はすごく寂しくて、悲しくて、悔しくて、怒っていたという感情が未消化のままだと、何十年経ってもその感情がマグマのように体の奥深くで熱を持ってしまうことがあります。

その結果、買物依存、ゲーム依存、タバコやアルコール依存、恋愛依存、SNS依存、食依存(過食・拒食)、私生活を犠牲にした推し活、ハラスメント、暴言暴力という形で、表に出てきてしまうこともあります。好きでやっていることだからいいんじゃない?と思われがちですが、それをやり始めたきっかけや当時の感情を丁寧に深掘りしていくと、寂しかった過去の記憶と結びつくことがたくさんあります。

私もこれまでいろんなものに依存した経験があります。純粋にそれが好きでやっていたというより、別のところにある感情に蓋をし、それを紛らわすためにハマっていたということが今ではよく理解できます。それらを紐解いていく作業はとても辛い時間でしたが、苦しみや寂しさから解放されたからこそ、今こうして穏やかな日常を過ごせています。もし、自分ひとりでは扱いきれない感情が眠っているなら、信頼できる専門家のケアを受けることを強くおすすめします。

⑤モノが増え、住まいが乱れる

「どうせ自分なんて」と自分を粗末に扱っていると、自分の部屋や家の中を整えるエネルギーが湧きません。ゴミ、汚れ、そんなものはどうでもよくなってしまいます。自分はこの程度の人間だという認識が、住まいの状態や環境を悪化させます。悪化した環境に身を置くと、「不甲斐ない自分は情けない、罪深い」という感覚に囚われ始めます。やがてその感覚さえも麻痺し、ゴミ屋敷やモノ屋敷になってしまうこともあります。

あるいは、観客を必要とする買物(ブランド品、高級品、映えるモノなど)が増え、本当に自分が必要なモノや欲しいモノではないモノを次々と欲してしまうことがあります。私もかつては、次々とブランド品を買いあさっていたことがあります。「こんな無価値な自分でも、ブランド品を持っている自分には価値があるに違いない」という錯覚で、終わりのない買物ループにはまってしまいます。誰かと比べて劣っている(と信じている)ので、何とか(より簡単に)挽回しなければいけないような感覚に陥って、自分で自分をイジメ続けていたのだと思います。

たとえ100円でも1,000円でも、「今の私にとって、これは本当に必要?」と問うことで、モノへの執着心と向き合うことができます。その習慣が身につけば、本当に必要なモノや欲しいモノだけを大事に使えるようになります。



最後に

本来、自分が負うべき責任の範囲は、自分自身の人生についてのみです。他人の人生の責任を負う義務はありません。他人との境界線を明確に持ち、自分はどうしたいかを最優先し、その上で他者と調整相談しながら関わりあっていくというのが、本来の自然な状態です。自然な状態では、日常的に自分を責めるということが起こらなくなります。

もしもこれまで、無意識に自分責めをし続けてきたとしても、今日から自分を一番大事にしてあげてください。感情に気づき、尊重し、共感してあげると、自分を不必要に責めることはなくなっていきます。あなたの人生が、今まで以上に軽やかで穏やかな時間になりますように。心から願っています。

タイトルとURLをコピーしました